Last Updated on 2026年3月1日 by 渋田貴正
海外に長年住んでいた方が、病気の治療や療養のために日本に戻り、そのまま亡くなるというケースは珍しくありません。このような場合、ご遺族からよくいただく質問が、「亡くなる前に日本に数か月いただけで、日本の相続税が全世界の財産にかかるのですか?」というものです。これは相続税の負担に直結する非常に重要な問題です。相続税は、亡くなった時点の住所で判定されます。過去に海外に長年住んでいたとしても、死亡時に日本に住所があると判断されれば、日本の居住者になります。逆に、死亡時点で海外に住所があると判断されれば、日本の非居住者になります。つまり、亡くなる直前の生活状況が極めて重要です。これは相続税特有のルールです。最後の生活の本拠が、課税範囲を決定します。
結論から申し上げますと、短期間日本に滞在しただけで直ちに相続税上の「居住者」になるとは限りません。しかし、状況によっては居住者と判断される可能性もあります。この判断は形式ではなく実態で行われます。つまり、「どこに住民票があるか」よりも、「生活の本拠がどこにあったか」が重要になります。
相続税の課税範囲が問題になる典型的なケース
■ ケース1 病気療養のための一時滞在
長年海外に居住していた方が、日本で高度医療を受けるために数か月から1年程度帰国するケースです。実務では最も相談が多い類型です。
ポイントは、「療養が一時的か、それとも生活拠点を日本に戻したといえるか」です。
例えば、海外の自宅を維持し、配偶者や家族も引き続き海外に住んでいる場合、日本は治療のための滞在先と評価されやすいです。この場合、生活の本拠は海外にあると判断される可能性が高く、日本の相続税は日本国内財産のみが対象になります。
一方、日本の自宅に戻り、住民票を移し、日本の健康保険に加入し、海外の住居を解約した場合は、日本を生活の本拠と評価されるリスクが高まります。この場合、死亡時に「日本居住者」と判断され、全世界財産が課税対象になります。
同じ療養でも、生活基盤の移し方で結果が大きく変わります。
■ ケース2 老後帰国のお試し滞在
海外で長年生活していた方が、「将来的には日本に戻るかもしれない」と考え、半年から1年ほど日本で生活してみるケースです。
例えば、日本で賃貸マンションを借りて生活しつつ、海外の自宅は売却せずに維持しているような場合です。
このケースでは、滞在の目的が「永住の準備」なのか、「様子見」なのかが重要になります。もし海外の生活基盤がそのまま維持され、資産管理や家族の中心も海外にある場合は、生活の本拠はまだ海外と評価される可能性があります。
しかし、日本で銀行口座を開設し、資産を移し、日本を恒常的な生活拠点とする準備が進んでいる場合は、「実質的に帰国した」と判断されることがあります。
期間の長さよりも、生活基盤の重心がどちらにあるかが問われます。
■ ケース3 家族の介護のための一時帰国
海外在住の方が、日本に住む親の介護のために数か月間帰国するケースもあります。
この場合も、一時的な滞在であれば住所移転とは限りません。海外の住居を維持し、仕事や資産管理の中心が海外にあるなら、生活の本拠は海外と判断されやすいです。
ただし、日本で長期にわたり生活し、海外の仕事を辞め、日本での生活に軸足を移した場合は、日本が生活の本拠と評価される可能性があります。
「介護だから自動的に一時滞在になる」というわけではありません。あくまで生活実態です。
■ ケース4 日本での長期出張・プロジェクト滞在
海外法人に勤務している方が、日本のプロジェクトのために半年から1年滞在するケースです。
この場合、会社命令による一時的な業務滞在であれば、通常は生活の本拠は海外にあると評価されます。家族が海外に住み続け、海外の住居も維持されている場合はその傾向が強いです。
しかし、日本に家族を呼び寄せ、日本で住居を構え、生活の中心が日本に移っている場合は、住所が日本にあると判断される可能性があります。
ここでも重要なのは「単身赴任か」「家族帯同か」といった生活の実態です。
相続税における「居住者」とは何か
相続税法では、「居住者」とは、日本国内に住所を有する者をいいます。ここでいう「住所」とは、単なる住民票の所在地ではありません。民法上の概念が用いられます。民法では、「住所とは、生活の本拠をいう」と定められています。生活の本拠とは、生活の中心です。具体的には、次のような要素を総合的に判断します。
| 判断要素 | 具体的内容 |
|---|---|
| 滞在期間 | 日本にどの程度の期間滞在していたか |
| 住居の状況 | 持ち家か賃貸か、短期滞在用か |
| 家族の所在地 | 配偶者や家族がどこに住んでいるか |
| 資産の所在地 | 銀行口座や投資口座がどこにあるか |
| 生活基盤 | 医療、保険、社会生活の中心がどこか |
| 帰国の目的 | 一時的な療養か、永住目的か |
つまり、単に「日本に何か月いたか」という日数だけで決まるものではありません。極端な話、1年以上日本にいても非居住者と判断されることがあります。逆に、短期間でも居住者と判断される可能性があります。
居住者か非居住者かによって、課税対象は大きく変わります。実際にはもっと細かく細分化されますが、一般的なイメージとしては以下のようになります。
| 被相続人の状況 | 課税対象 |
|---|---|
| 居住者 | 全世界の財産(海外の不動産、海外口座、海外株式を含む) |
| 非居住者 | 日本国内の財産のみ |
例えば、海外に1億円の資産、日本に1,000万円の資産がある場合を考えてみます。非居住者であれば、日本の1,000万円のみが課税対象になります。しかし居住者と判断されると、合計1億1,000万円が課税対象になります。税額は数百万円単位で変わることもあります。これはまさに「最後にどこで生活していたか」が税額を左右する典型例です。
療養帰国の場合に特に注意すべきポイント
療養のための帰国は、生活の本拠を移したとは限りません。ただし、次のような場合は注意が必要です。まず、日本に自宅を購入した場合です。これは生活の本拠を移したと判断されやすくなります。また、日本の住民票を移し、日本の健康保険に加入した場合も注意が必要です。さらに、日本での生活が長期化し、海外の住居を解約した場合は、日本が生活の中心と評価される可能性が高まります。逆に、海外の住居を維持し、家族も海外に住み続けている場合は、日本は一時滞在と評価されやすくなります。
特に療養帰国の場合は、日本滞在期間中に亡くなる可能性も0ではありません。療養帰国が予定されている場合は、相続税の観点から事前に整理しておくことが重要です。例えば、海外の住居を維持することは重要な判断材料になります。また、日本での滞在が一時的であることを客観的に示す資料を残すことも有効です。
住民票はあくまで一つの判断基準に過ぎない
「住民票を移していなければ非居住者」という誤解があります。これは正しくありません。住民票はあくまで参考資料です。最終的には生活実態で判断されます。また、「1年未満なら非居住者」というルールも存在しません。期間だけで機械的に判断されることはありません。この点は所得税の非居住者判定と似ていますが、相続税ではさらに実態重視です。形式より実態です。税務の世界では、「住所は紙ではなく生活で決まる」とよく言われます。住民票は住所の証拠の一つにすぎません。
海外在住者の療養帰国と相続税は、税務と法務の両面からの慎重な判断が必要です。当事務所では、海外在住者の相続税判定や療養帰国に伴う税務リスクについて、税理士と司法書士の両方の視点からサポートしています。将来の相続税リスクを回避するためにも、療養帰国を検討されている段階で、ぜひ一度ご相談ください。

司法書士・税理士・社会保険労務士・行政書士
2012年の開業以来、国際的な相続や小規模(資産総額1億円以下)の相続を中心に、相続を登記から税、法律に至る多方面でサポートしている。合わせて、複数の資格を活かして会社設立や税理士サービスなどで多方面からクライアント様に寄り添うサポートを行っている。
